父の日には昨年と同じものが届きました。
それは「江戸猫升酒グラス」と言って、日本酒を呑む100mlのガラス製のグラスです。
江戸猫グラスは、江戸時代の無類な猫好きの浮世絵師・歌川国芳が描いた江戸の猫たちをユーモラスにアレンジして酒杯グラスにしたもので、広くガラス製品を製造している「石塚硝子」の食器ブランドです。
販売は関連会社のADERIA「アデリア」が行っています。
この江戸猫グラスは、檜に猫のデザインの焼き印がある升もセットされており、「はちまきねこ」「てまりねこ」「ねこ」といった3つのシリーズとなっています。
今回届いたのは「てまりねこ」で、昨年は「はちまきねこ」でした。
スリガラスのようなガラスの表面にはハチマキを巻いた猫が描かれており、この一年間はニヤニヤしながらついつい楽しくて日本酒の杯が進んでしまいました。
そこで、「てまりねこ」の感想や、他では紹介されていない絵柄や画像も紹介しておりますのでご覧になって下さい。
「江戸猫升酒グラス」紹介
可愛くって、ユーモラス!
無類の猫好き・歌川国芳が描いた江戸の猫たち
江戸時代末期を代表する浮世絵師・歌川国芳が描いた猫をアレンジして、現代の技術と手法でグラスウェアに!
水晶のようにキラキラと煌めくグラスに、ユーモラスで趣のある猫たちが映える。
江戸猫升酒グラスには、3シリーズがあります。
上の画像がシリーズものです。
私がプレゼントされたものは、去年が「はちまきねこ」、今年は「てまりねこ」です。
一年間ほぼ毎日、日本酒を飲む際には「はちまきねこ」で呑んでいました。
メーカーや販売サイトではグラスの裏側の絵柄や、升の焼き絵柄までを紹介しているところが見当たりません。
元々興味のある方はもとより、これを見てなんだか面白いから考えてみようと思っていただけるような方へ画像をアップしました。
是非参考にしてください。
見てお分かりのようになかなか芸が入っており見てて実に楽しくなります。
はちまきねこ
はちまきねこ の裏側で干し魚の絵柄
てまりねこ
てまりねこ の裏側でネズミの絵柄
グラスの底には赤く見えるところは、製品の銘があります。
升の中底には絵柄が焼き印されています。
側面にも猫の絵の焼き印があります。
高級感タップリな化粧箱です。
江戸猫 升酒グラス
箱:化粧箱 サイズ 長さ140×幅101×高さ×60mm
升:檜 サイズ 長さ55×幅55×高さ×45mm(中味部38mm) 手洗い
グラス:ガラス素材 容量:100ml 手洗い(食器洗浄機不可)
使ってみての感想
良い点 | 今ひとつだなと思う点 | どちらとも言えない | |
見た感じ(化粧箱含め)は? | 高級感がありますね。 | ||
素材は? | 表面がツルツルしてなく、スリガラスのような 感じで手になじみやすく持ちやすいです。 |
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グラスの安定感は? | 底が一定の厚さがあり、倒れるようなことはないです。 | ||
絵柄は? | はちまきねこが最高にいい感じ。いかにも酒に酔う雰囲気が出て楽しく、何杯でも呑みたくなります。 |
シリーズ「ねこ」は、あっさりしすぎてユーモラス感がないかも。 |
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升は? | 材質が檜で好感が持てるが、ちょっとサイズが小さい気がする。 |
父の日は過ぎました。
しかし、毎日飲んでおられる方には「いつでもプレゼントの日」です。
そもそも猫はどこから来た
ルーツはアラビア半島と言われ、日本へやって来た時期は諸説あるようですが、仏教伝来の6世紀頃仏教の書物をネズミから守る為に連れて来られたようです。
猫は農作物を荒らすネズミを捕ってくれる動物として日本人にとっては大切な存在でした。
人々は猫を放し飼いにして食料の用心棒としていた時代から次第に一緒に暮らすようになりました。
つまり、猫を飼うようになったのですね。
そうして猫は単にネズミを捕ってくれる益獣だけではなく、人間と寄り添う身近な存在として切っても切れない関係になっていきました。
江戸の猫ブーム
そうこうしているうちに江戸時代には浮世絵で猫がブームとなりました。
浮世絵師・歌川国芳に代表される猫好きな絵師たちが絵画や書物に取り上げてきました。
さらに、歌舞伎や物語ものにも猫が登場していろいろな描写のされ方をされました。
そのひとつに化け猫があります。
猫は可愛いペットとして人間の傍にいましたが、明るい場所と暗い場所では瞳の形が変わり、夜には目が光って不気味なイメージが重なって妖怪として扱われてきたのでしょう。
以来、日本では何度かの猫ブームがあり、2010年からは空前のブームとなって2016年には987万匹、翌年には犬の飼育数を抜いたと言われています。
歌川国芳とは
没年:文久1.3.5(1861.4.14)
生年:寛政9.11.15(1798.1.1)
江戸末期の浮世絵師。江戸日本橋生まれ。はじめの姓は不明だが,のちに井草氏を継ぐ。幼名芳三郎,のちに孫三郎。一勇斎,朝桜楼などと号した。文化8(1811)年ごろに初代歌川豊国に入門したが,不遇の時期が長く続いた。文政(1818~30)末ごろ文芸界の『水滸伝』ブームに乗じて発表した「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」の錦絵シリーズが当たりを取り,「武者絵の国芳」としてようやく人気絵師の仲間入りを果たした。以後,錦絵,読本・合巻・滑稽本の挿絵と幅広く活躍し,国貞,広重と共に歌川派の三巨匠のひとりに数えられた。武者絵の代表作は3枚続きの画面に対象を巨大に描いたものに多く,「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」「相馬の古内裏」などがあげられる。武者絵以外では,天保(1830~44)前期に「東都名所」「東都○○之図」などの風景版画シリーズで近代的な感覚を見せ,同後期の「金魚づくし」,弘化(1844~48)末ごろの「荷宝蔵壁のむだ書」などの遊び心に満ちた戯画も注目される。門人の育成にも尽力し,門下から芳虎,芳幾,芳年らの俊才が輩出した。画業においては銅版画の作風を学ぶなど旺盛な吸収力を見せ,観る者を驚かせ喜ばせるサービス精神にも富んでいる。人間的には侠気のある親分肌で,ときに幕政を風刺する反骨精神もあったが,一方では猫をこよなく愛するなど,人間的な魅力に富んだ人物であった。<参考文献>鈴木重三『国芳』(大久保純一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について
毎年2月22日は猫の日です。
猫好きな人には、可愛い「江戸猫グラス」を是非贈ってあげましょう。